認知とはそもそもなんぞや という話
- monobio
- 2020年10月19日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年10月20日
このブログは僕が人工樹作成のために仕入れている知識や経験なんかを諸々書き出していくようなものです。 見てくれる人がいたら話半分、与太話、もしくは話題の種として見てもらえたらと思います。
まずは結論から
認知=人間が外界にある対象を知覚した上でそれが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと(wiki出典)
なるほど・・・ じゃあ知覚ってなによ、という話なのですが
「知覚とは動物が外界からの刺激を感覚として自覚し、刺激の種類を意味づけすること」
とある。
よく聞く五感を使って感じるっていうのがこの知覚反応だったりするみたいです。
正確には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、体性感覚、平衡感覚なんかの感覚情報をもとにして
触れたり、見たり、聞いたりしたときに「ふさふさ」「かわいい」「ひげがある」
「耳がある」「手足がある」「毛がある」「にゃーとなく」「かわいい」
という「知覚情報」つまり、自分の中で感じた細分化された単純な情報が刺激としてそれぞれの感覚器官をとおして脳に情報として入って来る、
その知覚情報をもとにして、「これはねこ」という自己解釈のプロセスが「認知」と呼ばれるものなのだとか。
僕はこのGIF画像の猫が何種なのか知らないし、もしもこの猫が飼い猫だったら多分名前がついてたりします。 どこそこの誰が飼っている○○ちゃんっていう猫ってことまで認知している人もいれば、ただの猫だと感じる人もいて、認知に関してはその対象への関係度とかが大きく関係しておるそうです。
色んな情報が特定のものを表すためのもので、認知に深く関わっているということだそうです。
この猫ちゃんなんて種類なんでしょう、、雑種なんですかね?
僕はこの猫に対してこの程度の認知しかしていないということでございます。
猫だと認知するための情報を脳は単純な刺激同士をパズルみたいに組み合わせて情報を整理して自分の中のカテゴリ(知識や経験的記憶情報源)に当てはめて、それが特定の対象だと認知する
つまり、猫という概念を知らなければそれは猫と認知することはできず、もう少し大枠の・・・例えば「いきもの」
みたいな大きなくくりとして認知される。
園芸会社で働くひとを例にとって考えてみると、例えば街路樹をみて知らない植物があるし、調べてもわからないって場合には
とりあえず脳は「緑色」「幹がある」「葉がある」といった知覚情報から「植物」という大枠で処理しているみたい。
シェフレラカポック と聞いてこれを読んでいる人はすぐに外形が思い浮かぶかもしれないけれど、そうじゃない一般の人、普段考えもしない人はとても多いものです。
人工樹も同じように皆さんの中ですでにできているカテゴリに当てはまるか当てはまらないかで大きくものの見え方は変わったりします。
例えばこの辺境の地にあるブログをもしもここまで読んでいる物好きな人がいたとしたら、まあ必ず人工樹についてご存知のはずです。
そんな人は、すでに人工樹という物体を認知するのための情報を脳の中でカテゴライズしているということで、見ている植物的ななにかが「人工樹」なのか「植物」なのかは
個人差がありますがその知覚情報の量と質によって大きく変わるということです。
MONOBIO が作る人工樹が「植物」として脳が認識している人がもしいたら、それはあなたが植物という認知に必要な情報量を人工樹が提供できているということなんじゃないでしょうか。 まあこれは僕が決めることではなく、皆さんが、いやさ皆さんの脳がどう捉えるかがすべてでございます。
そこがとてもおもしろいところだと、僕は思います。
とかく、認知の深さや広さ、その領域なんかによっても人は大きくモノゴトの捉え方が違うということなのですね。だから仕事ではプロが必要で、専門性が求められたりもするということなのかもしれません。
そんな今日のMONO BIO の ひとりごとでした。
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